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所長 プロフィール



昭和39年6月 <龍年>

  山口県下関市で誕生



幼稚園

  広島県広島市中区江波(えば)に引っ越す



小学生時代

  広島市立江波小学校

  1〜2年はサッカー少年

  3〜6年は野球少年(ソフトボール)

  守備はすべてのポジションをやりましたがとことん下手でした

  基本的に腰が高く、足首と膝が固かったですね

  バッティングは自信がありました(よく飛びましたね)



中学生時代

  広島市立江波中学校

  1〜3年も野球少年(軟式)

  野球部では封建的な縦社会

  嫌いじゃないが、理不尽なものを感じていました

  試合に出られたのは3年だけ



高校生時代

  広島市立舟入高等学校

  当時の公立高校入試は「総合選抜」で、合格すると県立と市立の6校に

  振り分けられるという自分の意思が反映しづらい制度でした

  私は家から一番近いこの高校(第一希望だった)に入学できてラッキーでした

  ここには野球部がありませんでした

  そういえば、同じ中学の同学年で野球をやっていた多くが甲子園に行きました

  私も続けていればカープに...なんて当時は思っていましたが、甲子園に出た

  誰もがプロには行けませんでしたね

  やはりプロは限られた・選ばれた人たちなんですね(2軍にいる人も)

  クラブ活動は空手愛好会があってちょっとかじった程度で不真面目でした

  (現在、長男は高校の空手部に入っています)

  3年の時には選挙に立候補してホームルーム委員長なるものをやりました

  学校側(先生側)とのやりとりが多くあったのですが、このときは大人の論理という

  現実が多々あったことを思い出します

  ホームルーム委員会で献血を主催し、朝礼で呼びかけ多くの参加を得たの

  ですが、肝心の私が血を見て気分が悪くなりナースストップをかけられ、

  大ひんしゅくをかったことはご愛嬌でしょう



浪人時代(2浪です)

  単身(?)、東京へ引っ越し

  1浪目の予備校は高円寺の中央ゼミナール

  2浪目の予備校は原宿の代々木ゼミナール(代々木ではなかった)

  さすがに2浪目は落ち込みました

  母から「君よ朝のこない夜はない」(扇谷 正造 著)という本をもらったときは

  ちょっと救われましたね



大学時代

  明治大学 法学部 法律学科

  つぶしが効くのではないかという理由で法学部

  入学当初は法律に対する志があったのですが、非理屈・こじつけ論の展開が

  想定外ではありました

  クラスの仲間とお遊びサークルをつくりました(テニス&スキー)

  2浪の反動がきましたね、遊びました、超超超超いいかげんな奴でした

  でも楽しかったですね

  もうひとつサークルに入っていて、フォークソング同好会

  シングアウトという範疇の生バンドを背に歌って踊るハードな文化部でした

  とりあえずまっとうしました(第20期幹事長)



会社時代

  平成元年4月に、芙蓉情報センターに入社

  この会社は、まだコンピュータというものを会社単独で持てなかった時代に

  グループで持とうじゃないかということでできた、芙蓉グループの会社

  入社前に、会社の寮(板橋区成増の借り上げマンション)に引っ越し

  寮とは名ばかりで、自腹が5万円でした(痛い!)

  駐車場も借りていて、こちらは2万8千円、本当にバブルでしたね

  仕事としては、損害保険会社の融資審査のシステムを担当


  入社半年後の平成元年10月に、合併で富士総合研究所となる

  平成2年に富士総研システム開発という子会社に出向

  子会社で採用や新入社員研修を2年担当後、1年間営業へ

  そして生命保険会社の営業職員さんの成績・給与システムを担当

  以来、退社するまで、担当の会社は変わりましたが、ずっと生保会社の仕事でした


  平成4年3月に、会社同期の現在の家内と結婚

  同時に、埼玉県蓮田市に引っ越し(現在にいたる)

  同年12月に長男が誕生する(そして、長女→二男→二女が誕生)


  平成10年頃、友人の佐々木君が大学院に行き始めたことに触発されて、

  興味のある年金の勉強をしよう!目標として資格をとろう!ということを決意

  U−CAN(と当時は言わなかったような、日本通信教育連盟だったかな)の

  社会保険労務士講座を申し込む

  年金を勉強しようと思ったが、U−CANでは労働法からの開始で、まったく

  ちんぷんかんぷんで早々に挫折しました(いまは労働法がおもしろく、不思議ですね)

  そうしているうちに、試験があるとの案内が来てとりあえず受験

  勉強していないので当然ですが正答率は10%で撃沈されました

  (5択の問題なので20%はいってもおかしくなかったのですが)


  この受験失敗をきっかけに再度のチャレンジを決意

  意志の弱い私は、ペースメーカーにLEC大宮校を選びました

  週末土・日がつぶれるクラスで、大学受験以来勉強しましたね

  長女がまだ小さかったのですが、週末に「おとうさん、今日も学校?」と寂しそうに

  していたのには参りました

  試験日前の2週間は有給をとり、ラストスパート(当時の上司に大感謝)

  そして平成12年に社会保険労務士試験合格


  資格をとって約8年間、そのまま会社員でした

  途中、会社はまた合併してみずほ情報総研になりました

  ですが、仕事の内容はかわらずシステム開発です

  システム開発は、ゼネコンに似てプロジェクトごとにピラミッド組織をつくります

  会社は元請けの会社だったので、仕事柄、数多くのパートナーの会社さんと

  お仕事をさせていただきました

  それぞれ会社は違うのですが、社長さん・役員さん・社員さんから、様々な労務の

  相談を受けました

  社員さんと労働基準監督署へ相談に行ったこともありました

  この8年間に見聞きしたり調べたりした労務の経験が、現在の業務に役立っています


  いよいよ平成20年12月末に、みずほ情報総研を円満退社


独立・開業

  平成21年1月に「やまさき社会保険労務士事務所」を開設

  『労務面から「会社を成長と繁栄」を支える!!』ことをミッションに

  忙しい毎日をおくっています



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